システムズエンジニアリングについて

2025-11-17

はじめに

たまによくある経験

  • 各部署が頑張って作ったものを組み合わせたら、なぜか動かない
  • 仕様書通りに作ったはずなのに、「これじゃない」と言われる
  • 途中で仕様変更があると、どこまで影響するかわからずパニックになる
  • プロジェクトの全体像を把握している人が誰もいない
  • 問題が起きたとき、原因がどこにあるのか説明できない

これらは規模の大小を問わず、多くのプロジェクトで起きている問題だと思います。そして、これらの問題に対処するための体系的なアプローチが存在します。その中の一つとして**システムズエンジニアリング(Systems Engineering: SE)**があります。

本記事では、SEとは何か、なぜ今必要とされているのか、そしてあなたの現場でどう活かせるかを、できるだけ身近な言葉で解説します。


システムズエンジニアリングとは何か

一言でいうと「全体を成功させるための方法論」

システムズエンジニアリングとは、複数の専門分野にまたがる知識を統合し、システム全体として最適な形で目標を達成するための体系的アプローチです。

ここでいう「システム」とは、ITシステムに限りません。ハードウェア、ソフトウェア、人、組織、プロセスなど、様々な要素が関わり合って機能する「全体」のことを指します。

たとえば自動車。エンジン、電子制御、センサー、運転者、整備体制、道路インフラ…これらすべてが連携して初めて「移動手段」として機能します。SEは、こうした複雑な要素の集まりを「システム」として捉え、全体の成功を設計するための考え方です。

SEの核心:「部分の総和」以上の価値を生み出す

SEを理解する上で重要なのが**「創発性(Emergent Properties)」**という概念です。

システムには、個々の部品を単独で見ても存在しない、全体として初めて現れる性質があります。たとえば、脳の神経細胞を1つ取り出しても「意識」は存在しません。しかし、何十億もの神経細胞が相互作用することで、意識という創発的な性質が生まれます。

製品開発も同じです。優秀なエンジニアが最高の部品を作っても、それらの「つながり方」や「相互作用」が適切でなければ、システム全体は機能しません。SEは、この**「部分」ではなく「関係性」と「全体の振る舞い」**に焦点を当てているのが特徴的です。


なぜ今、システムズエンジニアリングが必要なのか

複雑性の爆発

現代の製品やサービスは、かつてないレベルで複雑化しています。

  • 自動車:かつては純粋な機械製品でしたが、現代の車両は1億行以上のソフトウェアコードを搭載する「走るコンピュータ」です
  • スマートフォン:ハード、ソフト、通信、クラウド、決済、セキュリティなど無数の要素が絡み合っています
  • IoT製品:単独の製品ではなく、複数のシステムが連携する「システム・オブ・システムズ」化が進んでいます

このような複雑さの中では、一人の「神様エンジニア」がすべてを把握することは不可能です。

「伝言ゲーム」の失敗

プロジェクトが大きくなると、情報は多くの人の手を経由して伝わります。このとき起きるのが**「伝言ゲームの失敗」**です。

たとえば、こんなことが起きます:

  1. 翻訳の損失:「システムは迅速に応答すること」という要件。「迅速」とは100ミリ秒?1秒?人によって解釈が異なります。ドキュメントにこういった抽象的な言葉しかない場合、引継ぎされた側は悪夢を見ます
  2. 文脈の剥離:「何をすべきか」は伝わっても、「なぜそうすべきか」という意図や背景が欠落します
  3. サイレント・ミス:変更の影響範囲が把握できず、思わぬところで問題が発生します

実際に起きた悲劇的な事例

SEの欠如がどれほど深刻な結果を招くか、実例を見てみましょう。

マーズ・クライメート・オービター事故(1999年)

NASAの火星探査機が火星大気圏で燃え尽きた事故です。原因は「単位の取り違え」でした。地上局のソフトウェアは推力データを「ポンド力」で出力し、探査機側は「ニュートン」として解釈しました。

データの転送自体は正常でした。しかし、その数値に付随すべき「単位」という意味的な情報が、開発者間の受け渡しの過程で欠落していたのです。

ハイアット・リージェンシー歩道橋崩落事故(1981年)

ホテルの歩道橋が崩落し、114名が亡くなった事故です。当初の設計では一本の長い吊りロッドで2階と4階の歩道橋を支える構造でした。しかし施工業者から「製造が困難」という理由で2本のロッドに変更する提案があり、構造エンジニアは詳細な再計算をせずに承認しました。

この変更により、4階の梁にかかる荷重が2倍になっていたのです。「施工のしやすさ」というローカルな文脈での変更が、「構造耐力」というグローバルな文脈と照らし合わされることなく、承認されてしまいました。


従来の開発手法との違い

日本的「すり合わせ」文化の強みと限界

日本の製造業には「すり合わせ」という強みがあります。各部品やモジュールの担当者が密にコミュニケーションを取り、職人技と経験則で微調整を重ねながら、高品質な製品を作り上げる手法です。

この方法は長年機能してきました。仕様書に「50kg」としか書かれていなくても、担当者同士が「ああ、あれは組み立てラインのロボットアームの制限だから、実際には48kg以下に抑えないとまずいよ」と口頭で補足し合う。暗黙知を共有することで、ドキュメントの不備を補完してきたのです。

しかし、この手法には限界があります:

  • ソフトウェアの不可視性:数百万行のコードの依存関係は、目で見て「すり合わせる」ことができません
  • グローバル化:海外のサプライヤーと「阿吽の呼吸」は通用しません
  • 規模の拡大:関係者が増えると、全員の「暗黙知」を同期させることは不可能になります
  • 人材の流動化:ベテランが退職すると、頭の中にあった知識も一緒に失われます

SEの革新的なポイント

SEは従来手法と比べて、以下の点で革新的です:

観点従来の手法システムズエンジニアリング
最適化の対象部分最適(各部署が自部門を最適化)全体最適(システム全体の目的達成を重視)
知識の形態暗黙知(ベテランの頭の中)形式知(モデルや文書で明示化)
視野設計〜生産企画から運用・廃棄までのライフサイクル全体
検証タイミング後工程でまとめて検証各段階で対応する検証を実施
変更の影響把握人の記憶と経験に依存トレーサビリティで追跡可能

SEの主要なコンセプト

Vモデル:左右対称の開発プロセス

SEの象徴的なプロセスモデルが「V字モデル」です。

    要求定義 ─────────────────────── システム検証
         \                           /
          システム設計 ───────── 統合テスト
               \                 /
                詳細設計 ─── 単体テスト
                     \     /
                      実装

左側(下に向かう流れ):上位レベルの要求から、システム設計、詳細設計へと、だんだん詳細に分解していきます。

右側(上に向かう流れ):実装したものを、単体テスト→統合テスト→システム検証と、段階的に統合・検証していきます。

ポイントは、左側の各段階に、右側の対応する検証が必ず存在することです。要求定義で決めたことはシステム検証で確認し、詳細設計で決めたことは単体テストで確認する。この対応関係により、「何を検証すべきか」が明確になり、漏れを防げます。

トレーサビリティ:「なぜ」を追跡する

SEにおいて極めて重要なのが**トレーサビリティ(追跡可能性)**です。

これは、「要件」⇔「設計」⇔「実装」⇔「テスト」の間のつながりを明示的に記録し、追跡できるようにすることです。

たとえば、ある部品の仕様を変更しようとしたとき:

  • この仕様は、どの要件から来ているのか?
  • この変更は、他のどの設計に影響するのか?
  • どのテストケースを再実行する必要があるのか?

これらが即座にわかれば、ハイアット・リージェンシーのような「意図せぬ副作用」を防げます。

Verification と Validation:似て非なる2つの検証

SEでは、「検証」を2種類に明確に区別します:

  • Verification(検証):「正しく作ったか?」(Are we building the product right?)
    • 仕様書通りに作られているかを確認する
  • Validation(妥当性確認):「正しいものを作ったか?」(Are we building the right product?)
    • 作られたものが顧客の本来のニーズを満たしているかを確認する

仕様書通りに完璧に作っても、そもそも仕様書が顧客のニーズを反映していなければ意味がありません。SEはこの両方を区別して管理します。


身近な比較:スマートフォン開発 vs 宇宙開発

SEの適用度合いの違いを、2つの異なる業界で比較してみましょう。

スマートフォン開発

  • 開発サイクル:約1年の短いサイクルで新モデル投入
  • 不具合への対処:発売後のソフトウェアアップデートや次期モデルで改善可能
  • プロセス:スピード重視。「作りながら素早く直す」文化
  • SE適用度:形式的なSEプロセスは必ずしも適用されていない

宇宙機開発(ロケット・人工衛星)

  • 開発サイクル:5〜10年規模の長期プロジェクト
  • 不具合への対処:打ち上げ後の修正は極めて困難。「一発勝負」
  • プロセス:フェーズごとに正式レビュー。設計・製造・試験を慎重に進行
  • SE適用度:Vモデルに沿った厳格なSEプロセスを適用

両者の大きな違いは「やり直しがきくかどうか」に起因します。(まあSpaceXくらい予算があればやり直しは効くかもしれませんが。) 宇宙開発では初号機から完璧に近い完成度が要求されるため、SEが不可欠なのです。

しかし、「やり直しがきく」プロジェクトってそんなにあるでしょうか?もしかしたらどのプロジェクトも案外やり直しがきかないかもしれません

  • 市場投入後の不具合による信頼失墜
  • 大規模リコールのコスト
  • セキュリティ問題による法的リスク

「後から直せばいい」のコストは、実際には思っているより高いかもしれません。


あなたの現場でSEを活かすには

「フルスペックSE」でなくても良い

SE導入というと、高額なツールを買い、大規模な研修を行い、プロセスを全面的に見直す…というイメージがあるかもしれません。

しかし、SEの本質は「ツール」や「プロセス」ではなく、「全体を俯瞰する思考法(Systems Thinking)」です。

小さな現場でも、以下のような「軽量版SE」のエッセンスは取り入れられます。

SE的な習慣

1. 「なぜ」を記録する習慣

要件や設計を決めたとき、「何を決めたか」だけでなく「なぜそう決めたか」も一緒に記録するとよいです。将来、誰かがその決定を変更しようとしたとき、背景がわかれば適切な判断ができます。

【決定事項】応答時間は500ms以内とする
【理由】ユーザーテストで、500msを超えると操作感に不満が出たため
【関連要件】REQ-023

2. 変更時の影響範囲を確認する習慣

何かを変更するとき、「これを変えると、他のどこに影響するか?」も確認するとよいです。Excelでも良いので、要素間の依存関係を記録しておくと、影響範囲の把握が楽になります。

3. 「検証」と「妥当性確認」を区別する

  • テストで「仕様通りに動くこと」を確認するだけでなく
  • ユーザーや顧客目線で「これで本当に目的を達成できますか?」と確認する。

この2つを意識的に分けるだけでも、「仕様通りだけど使えない」という事態を減らせます。

4. 専門外の人にも伝わる「共通言語」を作る

図やモデルを使って、専門分野の異なるメンバーでも理解できる形でシステムを表現するのもよいです。言葉だけでは解釈がずれますが、図にすると認識の違いが見えやすくなります。

5. 定期的に「全体」を見る時間を作る

日々の業務では自分の担当部分に集中しがちです。定期的に(週1回でも月1回でも)、「全体としてどうなっているか」を確認する場を設けるなど、各々が全体を見られるようになるとよいです。

SE導入で期待できる効果

適切にSEを導入すると、以下のような効果が期待できます(研究データに基づく):

  • 手戻りの削減:設計段階での欠陥修正コストを1とすると、運用段階では数倍〜数百倍に膨れ上がります。早期発見で大幅なコスト削減が可能です
  • プロジェクト成功率の向上:SE能力の高いプロジェクトは、コスト・スケジュール・技術要件の達成率が有意に高いというデータがあります
  • 説明責任の遂行:「なぜこの設計にしたのか」「どこまでテストしたのか」を説明できるようになります
  • 属人化の解消:知識が個人の頭の中ではなく、組織の資産として蓄積されます

SEへの入門

レベル1

  1. 「システム思考」を意識する:日常業務で「部分」だけでなく「全体」と「関係性」を意識してみる
  2. 基本用語を理解する:要求、機能、アーキテクチャ、検証、妥当性確認などの基本概念を押さえる
  3. Vモデルを理解する:開発プロセスの基本的な流れを把握する

レベル2

  1. SysML(システムモデリング言語)を学ぶ:システムを図で表現する標準的な方法
  2. ISO/IEC 15288を読む:システムライフサイクルプロセスの国際規格
  3. 小規模プロジェクトで実践:まず小さなプロジェクトでSEを試してみる

レベル3

  1. MBSE(モデルベースSE)の実践:ドキュメントではなくモデルを中心にした開発
  2. 専門ツールの活用:SysMLツール、要求管理ツールなどの導入
  3. 組織的なSE能力の構築:プロセス改革、人材育成

おわりに

現代のプロジェクトは、好むと好まざるとにかかわらず、複雑さを増しています。

従来の「優秀な個人の頑張り」や「現場のすり合わせ」だけでは、この複雑性に対処しきれなくなっています。それは能力の問題ではなく、人間の認知能力には限界があるという単純な事実からです。

システムズエンジニアリングは、この限界を補うための知恵の体系としてとらえていただいてもよいです。


参考

  • INCOSE(International Council on Systems Engineering):システムズエンジニアリングの国際的な学会
  • JCOSE(日本システムズエンジニアリング協議会):日本でのSE普及を推進する団体
  • ISO/IEC 15288:システムライフサイクルプロセスの国際規格
  • SysML(Systems Modeling Language):システムモデリングの標準言語